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【聖武天皇が遷都した順番は?】大仏を作るため何回も遷都?

2023年2月8日

こんにちは!

聖武天皇が

遷都した順番は?

という疑問にお答えします!

聖武天皇は大仏を作るための

ベストプレイスを探すため、

何回も遷都してるんですよ!

  1. 遷都の順番
  2. 遷都の経緯

という内容で簡単に説明します!

瀧浪貞子さんの「聖武天皇」

参考にしました!

聖武天皇が遷都した順番は?

聖武天皇が
遷都した順番って
どんな感じ?

最初を平城京とすると、

  1. 平城京
  2. 恭仁京(くにきょう)
  3. 紫香楽宮(しがらきのみや)
  4. 難波宮(なにわのみや)
  5. 平城京

という順番でした!

4回も遷都したのか!
これは付いていく人は
大変だっただろうな!

遷都の経緯は?

遷都の経緯を簡単に説明すると、

藤原広嗣(ひろつぐ)の乱が

平定される気配を見せた時、

聖武天皇は

壬申の乱での天武天皇の足跡をたどる、

関東行幸を行いました。

その後5年間

平城京には戻らなかったそうです。

てか5年間の間に
4回も遷都したの?

名張→伊勢神宮→岐阜県→滋賀県

とぐるっと回って、

聖武天皇は恭仁京に入り、

(京都府木津川市、

JR加茂駅の近く)

恭仁京の造営に着手しました。

貴族には平城京に帰るのを

禁じたそうです😅

まだ家があるかも
しれないのに
帰っちゃダメなの?

さらにそれから3年後、

人々の生活がようやく落ち着いた頃、

恭仁京の造営が停止され、

聖武天皇は紫香楽宮を作るんですね。

なぜ
たった3年で?

聖武天皇が何回か紫香楽に行った時、

「大仏を作るなら、

紫香楽を都にした方が

良いんじゃね?」

となったらしいです。

計画性0な感!

そして、

さらに聖武天皇は、

難波京に遷都。

しかも聖武天皇は

難波京には40日しかいなかったらしく、

この後遷都はしてないものの、

紫香楽に移ったらしいです。

何がしたいんだ…

聖武天皇は紫香楽で

大仏の造立に専念したものの、

周辺の山で

山火事が頻繁に起きた。

これは紫香楽での大仏造立に

不満を持った人が起こした。

それを感じた聖武天皇は、

いろいろな人の意見を聞いて、

紫香楽での大仏造立を断念、

平城京に戻る事を決めたらしいです。

まあ遷都のたびに
たくさんお金がかかるし、
それが良いのかもね!

そしてご存知の通り、

聖武天皇は平城京で

大仏を開眼しました。

聖武天皇は大仏を作るための

ベストプレイスを探すため、

恭仁京→紫香楽宮→難波京と

遷都しましたが、

結局平城京に戻って

大仏を建てました!

まとめ

聖武天皇が遷都した順番は、

  1. 平城京
  2. 恭仁京(くにきょう)
  3. 紫香楽宮(しがらきのみや)
  4. 難波宮(なにわのみや)
  5. 平城京

大仏を作るための

ベストな場所を探すため、

遷都を繰り返し、

結局は平城京にもどり、

大仏を作りました!

聖武天皇や遷都について、

もっと詳しく知りたい人は、

瀧浪貞子さんの「聖武天皇」

読んでみてください!

以上です!

もし間違った所があれば、

コメントしていただけると

ありがたいです!

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