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池禅尼が平清盛に源頼朝の助命を嘆願したのはなぜ?裏がある?

2023年2月9日

こんにちは〜!

池禅尼が平清盛に

源頼朝の助命を

嘆願したのはなぜ?

という疑問にお答えします!

源頼朝が平治の乱の後、

平家に捕まり、

池禅尼が嘆願して

助命された逸話は有名ですよね。

あれは裏で「ある人」が手を回して、

池禅尼が助命嘆願するように、

仕向けたんです!

今日はそこら辺、

池禅尼が頼朝を助けた

事件の裏事情

について説明しますね!

頼朝の助命は、

いろいろな人の利害が

一致したから

嘆願されたものなんです!

なぜ池禅尼は、

頼朝を助けたのか?

元木泰雄さんの本、

「源頼朝」

を参考にして説明します!

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池禅尼が頼朝の助命を嘆願した話とは?

源頼朝が建てた鎌倉・鶴岡八幡宮

そもそも、
池禅尼が頼朝の助命を、
嘆願した話って、
どんな話だったっけ?

ひとまず、この逸話について、

簡単に説明します。

平治の乱で頼朝の父、

源義朝が平清盛らに敗れ、

逃亡の途中で頼朝は、

近江国で義朝一行とはぐれた。

そして尾張国で平宗清に捕らえられ、

京に連行された。

元木泰雄「源頼朝」29ページ

頼朝は義朝とはぐれ、

平家に捕らえられた。

本当なら頼朝は、
ここで死んだハズ
だったんだよね?

そう。

武家社会の習わしでは、

成人男子の戦闘員は、

報復の防止のためにも死刑が当然とされた。

元木泰雄「源頼朝」29ページ

報復防止のため、

捕まった成人男子は

死刑が普通だった

らしいからね😅

武士でなくて
良かった〜!

そして、

清盛の継母(ままはは)であり、

頼盛の実母である池禅尼により、

頼朝は助命されたのである。

池禅尼は、

頼朝が夭折したわが子家盛に生き写しである

として、清盛に助命を願ったという。

元木泰雄「源頼朝」30ページ

そこで頼朝は平清盛の継母、

池禅尼により助命嘆願され、

助けられたという。

早くに亡くした
自分の息子と、
頼朝が似てたから、
助けた。
そういう事か。

そうなんだよ。

表向きはね。

  • 池禅尼は清盛の父・忠盛(ただもり)の正室。一門の家長に準ずる強い発言力があった。
  • 池禅尼の息子・平頼盛が頼朝の身柄を確保した。

この2点で池禅尼には、

頼朝の処分に対し、

強い発言力があったらしい。

発言力!
どんな力があったんだろう?

まとめると、

  • 平治の乱の後、義朝とはぐれて、平頼盛に捕らえられた頼朝。
  • しかし池禅尼に助命嘆願され助けられた。

という事だね!

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池禅尼に圧力をかけ、頼朝を助けた黒幕がいる?

今の話で、
何かおかしい所が
あるって事?

あるある。

池禅尼の立場を考えると、

おかしい。

らしい。

池禅尼の立場?

池禅尼は武家の女性であり、

彼女があえて武士社会の原則を破った事が、

問題になる。

元木泰雄「源頼朝」30ページ

さっき、

「成人男子の戦闘員は、

報復防止のため、

死刑が当然とされた」

と書いたけど、

それを池禅尼も、

良く分かってたハズなんだよね。

池禅尼は清盛の母で、
平家の棟梁だった
忠盛の
奥さんだもんね!
ずっと平家の棟梁の奥さん
やってたわけだもんね!
そう考えると、

池禅尼は無理やり

自分の意見を通した

って思えなくもないね!

そうなんだよ。

というわけで、

池禅尼に裏で圧力をかけて、

頼朝を助けた人物がいる。

黒幕がいる。

って事になる。

黒幕は誰?

なるほど。
その黒幕は誰なの?

2人いるんだけど、

  1. 祐範(ゆうはん、頼朝の母の弟、園城寺の僧)
  2. 上西門院(じょうさいもんいん、かつて頼朝が蔵人(くろうど)として仕えた人)

この2人が池禅尼に圧力をかけた。

頼朝の母の弟と、
頼朝が、
かつて仕えていた人か!

頼朝の母の実家の、

熱田大宮司家

の力がけっこう強かったみたい。

そして池禅尼は、

保元の乱の時、

上西門院の兄・崇徳上皇を裏切り、

息子・頼盛を後白河側に参戦させた事を、

負い目に持っていた。

池禅尼は、

崇徳の皇子・重仁親王に、

乳母として仕えていたんだ。

それで、

池禅尼は上西門院に圧力をかけられ、

この取引に応じた。

という要因もあるみたい。

池禅尼は、
上西門院の甥っ子の乳母
だったけど、

上西門院の弟・崇徳を、

裏切った事になるのか。

負い目に感じるよね!

そして清盛からすれば、

後白河院の姉である、

上西門院に、

恩を売る良い機会

だと判断。

助命に応じたみたい。

なるほど!

いろいろな条件が重なって、

頼朝の命は助けられたんだね!

まあ頼朝を生かしたせいで、

平家は全滅したんだから、

この時なんとしても、

頼朝を殺しておくべきだったのかも、

しれないけどね〜😅

それは、
この池禅尼助命の逸話を
聞いた、
全員が思うことだよ!

上西門院と源頼朝の関係については、

上の記事で説明してます!

興味があれば、

読んでみてください!

池禅尼の頼朝助命嘆願の逸話の裏側まとめ

  • 平治の乱の後、父・義朝とはぐれ、平頼盛に捕まった頼朝。
  • しかし池禅尼の助命嘆願により命だけは助けられる。

という逸話ですが、

  • 実際は頼朝の母の弟・祐範や頼朝がかつて仕えていた上西門院が、頼朝を助ける様に池禅尼に圧力をかけた。
  • 池禅尼も保元の乱で上西門院の兄・崇徳上皇を裏切り、息子・頼盛を後白河側に付かせた事に負い目を持っていて取引に応じた。
  • 清盛も後白河院の姉である上西門院に恩を売る良い機会だと判断。助命に応じた。

まとめても、
少しややこしいかな?

まあ色々な所の利害が一致して、

頼朝は命だけは助かったわけです😅

そして頼朝は
伊豆へ流罪になり、
『鎌倉殿の13人』の、
最初のシーンに
なるわけだね!

そういう事!

分かってもらえました?😅

詳しくは元木泰雄先生の、

「源頼朝」を読んでみてください!

「鎌倉殿の13人」で、
源頼朝は
ずっと出てくるので、
予習にもなりますよ!

元木泰雄先生の「源頼朝」は、

電子書籍だと安く読めますよ!

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