【上西門院って、どんな人?】源頼朝の関係は?
こんにちは〜!
カワタツです!
🤡「どーも!
デルピエロです!」
🤡「2022年4月現在、
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」とか、
アニメ「平家物語」とか、
源平合戦や源頼朝が、
熱いよね!🔥」
そうだね〜。
源頼朝といえば、
以前、
こんな記事を書きました。
🤡「源頼朝が平清盛に捕まった時、
池禅尼の助命嘆願で命は助けられた。
って話だったよね」
そう。
その話は裏で、
上西門院
(じょうさいもんいん)
という女性が、
裏で頼朝を助けるように、
池禅尼に圧力をかけたという話だった。
🤡「ところで、
上西門院って、
どんな人なの?
そして、
源頼朝と
何の関係があるの?」
じゃあ、
この記事では、
その2点について、
元木泰雄先生の、
「源頼朝」
という本から引用して、
説明します!
目次
上西門院って、どんな人?
🤡「上西門院って、
どんな人なの?」
元木泰雄「源頼朝」によると、
後白河の同母姉統子内親王
(とうしないしんのう)
保元4年(1159年)2月13日には、
女院を宣下され、
上西門院と称した。
元木泰雄「源頼朝」P8〜9
🤡「上西門院は、
後白河法皇の姉
なのか!
後白河法皇は、
『鎌倉殿』や、
『平家物語』にも出てくるよね!」
そう。
鳥羽天皇の娘
でもあるんだけど、
天皇の奥さんではないのに、
皇后になってる。
そこがよく分からないんだけど😅
🤡「とにかく、
上西門院は、
統子内親王と呼ばれる女性。
後白河法皇の姉で、
鳥羽天皇の娘。
皇后になり上西門院と呼ばれるように、
なったんだね!
強い権力を持ってたのかな?」
上西門院と源頼朝の関係は?
🤡「そして、
その強い権力を持ってたと思われる、
上西門院と頼朝の関係は?」
保元3年(1158年)2月3日、
頼朝は12歳で、
皇后宮権少進
(こうごうぐうごんのしょうじょう)
に就任した。
元木泰雄「源頼朝」P9
この「皇后」が、
統子内親王と呼ばれた時代の、
上西門院だったらしいよ。
🤡「頼朝は、
上西門院の屋敷の警備をする人
に任命されたって事?」
多分だけど、
そういう感じだと思う😅(自信なし)
その後、
統子内親王が上西門院と称してからは、
上西門院蔵人(くろうど)になった。
🤡「要するに、
頼朝が上西門院の屋敷の警備役(?)
をする事で、
強い権力を持った上西門院と、
繋がった。
という事でいいのかな?」
そういう感じだと思う。
まとめ
- 上西門院は統子内親王と呼ばれ、鳥羽天皇の娘で後白河法皇の姉。皇后。強い権力を持ってた?
- 源頼朝は12歳の時、皇后宮権少進・上西門院蔵人になり、上西門院の屋敷の警備(?)の役割を担った。
当時、頼朝は12歳だったから、
上西門院は可愛がっていたのかな?
そして頼朝が平清盛に捕まったとき、
上西門院が池禅尼に圧力をかけた話と、
繋がっていくんだね。
🤡「法皇の姉で、
権力を持ってたんだもんな〜。
清盛のやる事を止められる力があったんだね」
そこら辺の詳しい事は、
上の記事を読んでみてください!
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それでは今日はこの辺で失礼します!
🤡「さようなら〜!」
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