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【上西門院って、どんな人?】源頼朝の関係は?

2023年2月8日

こんにちは〜!

カワタツです!

🤡「どーも!

デルピエロです!」

🤡「2022年4月現在、

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」とか、

アニメ「平家物語」とか、

源平合戦や源頼朝が、

熱いよね!🔥」

そうだね〜。

源頼朝といえば、

以前、

こんな記事を書きました。

🤡「源頼朝が平清盛に捕まった時、

池禅尼の助命嘆願で命は助けられた。

って話だったよね」

そう。

その話は裏で、

上西門院

(じょうさいもんいん)

という女性が、

裏で頼朝を助けるように、

池禅尼に圧力をかけたという話だった。

🤡「ところで、

上西門院って、

どんな人なの?

そして、

源頼朝と

何の関係があるの?」

じゃあ、

この記事では、

その2点について、

元木泰雄先生の、

「源頼朝」

という本から引用して、

説明します!

上西門院って、どんな人?

🤡「上西門院って、

どんな人なの?」

元木泰雄「源頼朝」によると、

後白河の同母姉統子内親王

(とうしないしんのう)

保元4年(1159年)2月13日には、

女院を宣下され、

上西門院と称した。

元木泰雄「源頼朝」P8〜9

🤡「上西門院は、

後白河法皇の姉

なのか!

後白河法皇は、

『鎌倉殿』や、

『平家物語』にも出てくるよね!」

そう。

鳥羽天皇の娘

でもあるんだけど、

天皇の奥さんではないのに、

皇后になってる。

そこがよく分からないんだけど😅

🤡「とにかく、

上西門院は、

統子内親王と呼ばれる女性。

後白河法皇の姉で、

鳥羽天皇の娘。

皇后になり上西門院と呼ばれるように、

なったんだね!

強い権力を持ってたのかな?」

上西門院と源頼朝の関係は?

🤡「そして、

その強い権力を持ってたと思われる、

上西門院と頼朝の関係は?」

保元3年(1158年)2月3日、

頼朝は12歳で、

皇后宮権少進

(こうごうぐうごんのしょうじょう)

に就任した。

元木泰雄「源頼朝」P9

この「皇后」が、

統子内親王と呼ばれた時代の、

上西門院だったらしいよ。

🤡「頼朝は、

上西門院の屋敷の警備をする人

に任命されたって事?」

多分だけど、

そういう感じだと思う😅(自信なし)

その後、

統子内親王が上西門院と称してからは、

上西門院蔵人(くろうど)になった。

🤡「要するに、

頼朝が上西門院の屋敷の警備役(?)

をする事で、

強い権力を持った上西門院と、

繋がった。

という事でいいのかな?」

そういう感じだと思う。

まとめ

  • 上西門院は統子内親王と呼ばれ、鳥羽天皇の娘で後白河法皇の姉。皇后。強い権力を持ってた?
  • 源頼朝は12歳の時、皇后宮権少進・上西門院蔵人になり、上西門院の屋敷の警備(?)の役割を担った。

当時、頼朝は12歳だったから、

上西門院は可愛がっていたのかな?

そして頼朝が平清盛に捕まったとき、

上西門院が池禅尼に圧力をかけた話と、

繋がっていくんだね。

🤡「法皇の姉で、

権力を持ってたんだもんな〜。

清盛のやる事を止められる力があったんだね」

そこら辺の詳しい事は、

上の記事を読んでみてください!

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それでは今日はこの辺で失礼します!

🤡「さようなら〜!」

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