【奥州藤原氏・藤原秀衡は源義経の平泉入りをどう思った?】正直、義経って面倒www
こんにちは〜!
カワタツです!
🤡「どーも!
デルピエロです!」
突然だけど、
奥州藤原氏
って知ってる?
🤡「ああ、平安時代の、
東北地方で力を持っていた、
藤原氏の一族だね!
源義経を、
手厚く保護したんだよね!」
う〜ん😅
🤡「どうした?」
いや源氏と仲が良いわけでもない、
奥州藤原氏は、
源義経が奥州に飛び込んできた事を、
どう思ったんだろう?
と思って。
🤡「あれ?
意外と歓迎してなかったとか?」
それについて、
高橋崇さんの「奥州藤原氏」
の本を参考に、
説明してみます!
目次
最初に義経が奥州に来た時、秀衡はどう思った?
🤡「藤原秀衡、
義経が平泉に来たことを、
あまり良く思ってなかったりする?
歓迎はしてなかった?」
かもしれない。
というのも、
義経の祖先、
源頼義や義家は、
前九年の役・後三年の役で、
東北地方の人たちを、
めちゃめちゃ殺したらしい😅
🤡「え!
じゃあ、
奥州藤原氏の人たちは、
源氏にあまり良い印象を持ってなかった
という事?」
そうかもしれない😅
それに義経が平泉に来るまでは、
奥州は平穏だっただろうけど、
義経が来た事で、
平家から厳しく、
目を付けられるかもしれない。
けっこう緊張感を持って、
迎えたんじゃないかな〜。
🤡「そうだよな〜。
よく考えたら義経を迎えるって事は、
戦争の火種を抱えた🔥💥
って事だもんな〜」
そうなんだよ。
最初の義経の平泉入りの後、
秀衡は義経と家臣達に向かって、
こう言ったらしい。
1、平家全盛時代だから、
源氏の血を引く義経を大事にすれば、
平家が黙っていまい。
2、でも義経を追い返せば、
世の中の笑い者になる。
3、でも大事に養育すると、
天下の乱の原因になる。
高橋崇「奥州藤原氏」200ページ
みたいな感じの事を、
秀衡は言ってたみたい。
🤡「うわ。
『義経は大事にしたいけど、
面倒だよね〜。
平家と戦争になるかもしれないよね〜』
とみんなの前で言ってるわけか!」
そうなんだよ😅
藤原秀衡は義経を保護するハメになり、
「面倒な人を保護してしまった〜!😖」
と思ってたかもしれません!
2度目の義経の奥州入りでは?
そして義経が二度目に平泉に来た時は、
兄・頼朝に追われて、
どこにも行く所がなく、
奥州へやってきた。
🤡「うわ〜。
2回目の義経の奥州入りが、
面倒だった
のは、
十分わかるわ!」
そう!
京都や福原にいた平家と違って、
頼朝は鎌倉にいて、
奥州と近かったからね!😅
「今度こそ奥州藤原氏は、
攻め込まれるかもしれない!」
と秀衡は思ったんじゃないかな。
🤡「そうだよな〜。
平家を倒して、
頼朝の敵は奥州藤原氏だけだったんだもんな」
実際、頼朝にとっても、
奥州藤原氏が北を抑えてるのは、
かなりのプレッシャーで、
早く奥州を攻めたかったらしい。
🤡「そして実際に、
奥州藤原氏は頼朝によって、
滅ぼされてしまうんだよね☠️」
そう。
戦いの前に秀衡が死に、
後を継いだ経験不足の泰衡。
義経を裏切って自害に追い込み、
奥州藤原氏も滅ぼされてしまう。
🤡「辛いわ〜」
というわけで、
義経の二度目の奥州入りでは、
秀衡は確実に義経を、
面倒な人だと思ってたと思います!
🤡「実際に奥州藤原氏は、
滅ぼされちゃったしね〜」
まとめ
藤原秀衡や奥州藤原氏の人たちは、
源義経をけっこう面倒くさく
思ってたのでは?
まあ義経を最初は5〜6年間、
二度目は2年間、
奥州藤原氏は義経を長期間保護したから、
「義経を愛した」
とも言えるかもしれないけどね。
🤡「でも、
愛してたから余計に面倒
ってのもあるかもしれないよ?」
僕も義経は好きだけど、
義経って、
家族とかで近くにいたら、
けっこう面倒くさそうな人
だと、
想像しちゃうんだよね😅
🤡「なんか分かる!」
もっと詳しく知りたい人は、
高橋崇さんの「奥州藤原氏」を、
読んでみてください!
🤡「この記事は上の本を元に、
僕の想像を付け足した感じの内容です!」
旅行ブログの方で、
平泉に行った記事も書いてます!
🤡「写真だけはたくさん載せてます!」
それでは今日はこの辺で失礼します!
🤡「さようなら〜!」
最後まで読んでくれて、
ありがとうございます!
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