【徳川慶喜の余生は?】趣味に生きた?子だくさん?どこに住んだ?
こんにちは〜!
徳川慶喜
の余生
について説明します!
2021年の大河ドラマ、
「青天を衝け」を見て、
「幕府がなくなった後、
慶喜はどうなったの?」
と思った人も
多いのでは?
これほど前半生と後半生が、
かけ離れた人生を送った人物は、
そうざらにはいないだろう
家近良樹「徳川慶喜」P291
とも言われてる、
徳川慶喜の余生を、
- どこに住んだ?
- 趣味に生きた?
- 子だくさん?
の3点で説明します!
家近良樹さんの
「徳川慶喜」
という本を参考に、
簡単に説明します!
慶喜はどこに住んだ?
![](https://tatsuya-book.com/wp-content/uploads/2022/07/IMG_3128-e1658555890832.jpg)
徳川慶喜、
余生はどこに住んだの?
鳥羽伏見の戦いで、
慶喜が大坂を退去し、
江戸に戻った後、
慶喜は上野の寛永寺で自ら謹慎した。
![](https://tatsuya-book.com/wp-content/uploads/2022/07/IMG_3128-e1658555890832.jpg)
新政府に抵抗する
つもりはない事を、
示すつもりだった
んだよね!
そして新政府により、
水戸に引っ越しさせられた後、
さらに静岡へ引っ越し。
![](https://tatsuya-book.com/wp-content/uploads/2022/07/IMG_3129-e1658553154173.jpg)
江戸
→水戸
→静岡!
新政府の(ほぼ)命令なんだが、
徳川家の菩提寺であった
常磐町の宝台院にとりあえず居をかまえ、
以後30年近くにわたって、
静岡で隠居生活を送ることになる。
家近良樹「徳川慶喜」P252
![](https://kawata2.net/ktblog/wp-content/uploads/2022/02/1795089_s.jpg)
![](https://tatsuya-book.com/wp-content/uploads/2022/07/IMG_3129-e1658553154173.jpg)
徳川家ゆかりの
静岡とはいえ、
30年も江戸に戻ることは
なかったのか!
そう。
そして、その後、
明治30年(1897年)、
慶喜は東京に移り住んだ。
![](https://tatsuya-book.com/wp-content/uploads/2022/02/IMG_8830-768x1024.jpg)
![](https://tatsuya-book.com/wp-content/uploads/2022/07/IMG_3129-e1658553154173.jpg)
30年も待って、
ようやく江戸に
帰れたんだね!
30年も待たないと
いけなかった理由は
何なの?
この頃になると、
明治政府の体制が固まって、
慶喜ら旧幕府の人が、
明治政府に反逆する可能性もなくなった。
さらに、
- 大久保利通
- 西郷隆盛
- 木戸孝允
など、
慶喜を嫌ってた政治家も、
亡くなってたからね。
![](https://tatsuya-book.com/wp-content/uploads/2022/07/IMG_3128-e1658555890832.jpg)
もう慶喜が、
明治政府に
敵対することはないし、
慶喜を嫌ってた大物も、
いないから
江戸に帰ってもOK!
という判断が
ようやく出せたのかな?
そうな感じだと思う。
というわけで、
徳川慶喜は江戸→水戸→静岡と
移動した後、
余生の30年間を静岡で過ごし、
かなり後になって東京に戻りました。
趣味に生きた?
![](https://kawata2.net/ktblog/wp-content/uploads/2022/02/1377625_s.jpg)
次は徳川慶喜の趣味について、
説明します。
![](https://tatsuya-book.com/wp-content/uploads/2022/07/IMG_3128-e1658555890832.jpg)
「青天を衝け」で、
慶喜が絵を
描いてるシーンが
あったよね!
そう。
隠居後の慶喜は、
趣味に打ち込んだらしい。
銃猟・鷹狩り・囲碁・投網・鵜飼
・謡(うたい)・能・小鼓・洋画
・刺繍・将棋・ウナギ釣り・湯治
・花見・釣り・書道・弓・ビリヤード
・写真撮影・レコード・コーヒー
・自転車
家近良樹「徳川慶喜」
など。
![](https://tatsuya-book.com/wp-content/uploads/2022/07/IMG_3129-e1658553154173.jpg)
趣味が
めちゃめちゃ多いな!
![](https://kawata2.net/ktblog/wp-content/uploads/2022/02/23232528_s.jpg)
![](https://tatsuya-book.com/wp-content/uploads/2022/07/IMG_3129-e1658553154173.jpg)
しかも、
ビリヤードとか
レコードとか、
明治時代にも
あったんだね!
家近良樹さんの「徳川慶喜」から、
趣味らしい物を、
ひたすら取り上げてみました。
慶喜は新しい物が好きで、
- 人力車
- 自転車
- 電話
- 蓄音機
- 自動車
などが登場すると、
積極的に買って利用してたみたいだね。
![](https://tatsuya-book.com/wp-content/uploads/2022/07/IMG_3129-e1658553154173.jpg)
隠居してるのに、
そんなに
お金あるのかよ!
とか、
つい思っちゃうな〜
そんなわけで、
徳川慶喜は絵画
・ビリヤード・レコードなど、
余生を趣味に過ごしました!
人力車・自転車・電話など
新しい物を取り入れるのにも
積極的でした!
子だくさん?
![](https://kawata2.net/ktblog/wp-content/uploads/2022/02/22031259_s.jpg)
あと、
もう1つ、
慶喜が余生で
積極的だった事
があるんだ。
![](https://tatsuya-book.com/wp-content/uploads/2022/07/IMG_3128-e1658555890832.jpg)
なに?
子作り😅
![](https://tatsuya-book.com/wp-content/uploads/2022/07/IMG_3129-e1658553154173.jpg)
は?
ちょっと品のない言い方を、
したかもしれませんが、
慶喜は側室だった2人の女性との間に
十男十一女をもうけた。
家近良樹「徳川慶喜」P262
らしいです😅
十男十一女!
![](https://tatsuya-book.com/wp-content/uploads/2022/07/IMG_3129-e1658553154173.jpg)
十男十一女!
すごい!
21人の子だくさん
だったみたいです!
慶喜は余生で十男十一女、
21人の子だくさんだった!
徳川慶喜については、
他にも記事を書いてます!
徳川慶喜の余生まとめ
- 江戸→水戸→静岡と引越し、静岡に30年住み、その後東京に住んだ。
- 絵画・ビリヤード・レコードなど、たくさんの趣味を楽しみ、人力車・自転車・電話など新しい物を好んだ。
- 子だくさんで十男十一女をもうけた。
こんな感じで、
慶喜の後半生で、
気になった部分を取り上げてみました!
慶喜の後半生について、
さらに詳しく知りたい人は、
家近良樹さんの「徳川慶喜」を、
読んでみてください!
以上です!
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さようなら〜!!
最後まで読んでいただいて、
ありがとうございます!
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