【「天下分け目の関ヶ原合戦はなかった」感想】大軍同士の戦いはなかった?三成は首謀者じゃない?
こんにちは〜!
カワタツ( @TKkidd_mbht )です!
🤡「どーも!
デルピエロです!」
ねえ。
関ヶ原の合戦って、
どんな戦いだったっけ?
🤡「ん?
いきなり何?
徳川家康率いる東軍と、
石田三成率いる西軍が、
関ヶ原で天下分け目の合戦をした
って話だろ?」
ブッブー。
🤡「だから反応が古…、
え?
何が違うの?」
それは従来の説で、
最近わかった史実では、
大軍対大軍の、
天下分け目の合戦はなかった。
石田三成は西軍の大将ではなかった。
と言われてる。
🤡「え?
それが史実?
一般的に言われてる、
関ヶ原の合戦の従来の説と、
大分違ってない?」
そうなんだよ。
今日はその、
関ヶ原の合戦の史実について、
詳しく書かれた本
を紹介します!
「天下分け目の
関ヶ原合戦はなかった」
🤡「どストレートで、
わかりやすいタイトル。
というか著者は乃至政彦先生じゃないか!」
🤡「乃至政彦先生といえば、
『謙信越山』や、
『平将門と天慶の乱』など、
面白い歴史の本を、
たくさん書いてるよね!」
そう、一次資料をしっかり検証して、
書いてあるので、
トンデモ歴史本じゃないです!
現時点で出来るだけ、
関ヶ原の合戦の、
史実に近づいた本だと思います!
この記事では、
「天下分け目の関ヶ原合戦はなかった」
がどんな本かを説明し、
さらに個人的な感想を書きます!
たくさんの人に読んで欲しいので、
なるべく本のネタバレは、
しない内容にしています!
目次
「天下分け目の関ヶ原合戦はなかった」とは?
🤡「『天下分け目の
関ヶ原合戦はなかった』
って、どんな内容なの?」
また目次を丸写しするんだけど、
まず「従来説の関ヶ原像」
を説明し、
帰国した上杉景勝の野心
毛利輝元の暗躍
石田三成襲撃事件の深層
家康暗殺計画と加賀征伐
会津征伐と直江状
「毛利の政変」勃発す
「天下分け目の関ヶ原合戦はなかった」第一部目次
ここまでが第一部で、
乃至政彦先生が説明してくれてる。
🤡「石田三成襲撃事件って、
司馬遼太郎の『関ヶ原』で描かれてた、
石田三成が豊臣の諸将の怒りをかって、
襲われた時、
大胆にも徳川家康の屋敷に、
逃げ込んだっていう話だね」
そう、結論から言えば、
石田三成が家康の屋敷に
逃げ込んだ話はない
という事が書いてある。
🤡「マジかよ」
🤡「でも、
逃げ込んだのが事実なら、
敵の屋敷に逃げ込むのって、
大胆過ぎるもんな。
あと、
直江状
の所も気になる。
上杉家の直江兼続が、
徳川家康に送った、
家康の悪事を追求する内容の書状
だよね」
そう、直江状についても、
直江状が存在したかどうかを
検証してある。
🤡「マジかよ。
存在しない可能性があるって事か」
さらに第二部は、
関ヶ原の合戦について、
詳しく研究されているという、
高橋陽介先生が書いた内容。
の目次。
毛利輝元の挙兵
西軍の初期配置
西軍の首謀者を誤認した家康
東軍の初期配置
岐阜落城と美濃作戦
天下分け目の大柿布陣
吉川広家書状に見る西軍の惨状
石田三成意見書に見る西軍の分裂
西軍降伏後に起きた合戦
「天下分け目の関ヶ原合戦はなかった」第二部目次
さて、どこが気になる?
🤡「毛利輝元の挙兵?
輝元は従来説では、
「西軍に付いたけど、
あまりやる気はなかった」
みたいな感じじゃなかったっけ?」
それが逆に史実では、
輝元は関ヶ原合戦の、
西軍首謀者の1人
みたいなんだよね。
🤡「マジかよ!」
🤡「あと気になるのは、
天下分け目の大柿布陣だな。
大柿って岐阜県大垣市の事だよね?
大柿で天下分け目の合戦があったの?」
大柿とか岐阜城の戦いは、
従来では関ヶ原合戦の前哨戦みたいに、
言われてたけど、
実は大垣や岐阜城辺りの戦い、
案外メインな戦いみたいなんだよね。
🤡「マジか!
それが大軍同士の戦いに、
深く結びつくって事?」
いや違う😅
大軍対大軍の戦いは起こらず、
関ヶ原合戦は、
岐阜城の戦いの様な、
小さな戦いが、
関ヶ原付近でたくさん起こった
というのが史実らしい。
🤡「マジか〜。
大軍対大軍はないのか〜」
🤡「あと西軍の惨状とか分裂も、
気になる」
従来説では、
西軍は裏切られたりはするものの、
ある程度統制は取れてるイメージは、
あったよね?
🤡「ん?
うん、まあ目立って統制が取れてない、
なんて事はなかったよね」
史実では、
西軍は全く統制が取れてなく、
士気も低かった
らしい😅
🤡「マジか!」
毛利輝元と同じ首謀者の、
増田長盛とか安国寺恵瓊が、
戦いを全く知らなかったから、
西軍の士気が下がって、
東軍に寝返る人も、
続出したらしいよ。
🤡「マジか。
裏切ったのは、
小早川秀秋だけじゃないんだ」
そんな感じで、
なるべくネタバレしない程度に、
「天下分け目の関ヶ原合戦はなかった」
の内容を説明してみました!
ハッキリ言って、
この本に書かれてる関ヶ原合戦の史実、
この記事では、
少ししか説明してないので、
興味がある方は、
「天下分け目の関ヶ原合戦はなかった」
を読んでみてください!
「天下分け目の関ヶ原合戦はなかった」感想
🤡「『天下分け目の
関ヶ原合戦はなかった』を、
読んでみての感想は?」
司馬遼太郎の小説とかで、
徳川家康は悪役に描かれてるよね?
🤡「そうだよね。
司馬さんは家康嫌いなんだな〜
って思っちゃったな」
僕も影響されて、
家康が嫌いだった事もあるんだけど😅
🤡「(笑)😂」
でも実は家康は、
豊臣秀吉が死んだ後、
真面目に豊臣政権を守ろうと
したんだよね。
🤡「マジか。
態度を豹変させたんじゃないんだね」
まあ豊臣政権一番の権力者である事を、
多少利用した事はあるかもしれない。
それが毛利輝元や、
奉行衆を刺激したのかな。
🤡「でも家康は秀吉の遺言を守り、
豊臣政権を守ろうとしたわけか」
そうなんだよね。
何が言いたいかというと、
家康は悪い奴じゃなかった
って事かな。
🤡「関ヶ原の合戦が終わった後、
あ、これから後は豊臣政権を気にせず、
ワシの好きにやって良いんだ💡
と気づいた感じなのかな?」
あと関ヶ原の合戦については昔から、
何万人もの大軍対大軍の対決が、
1日で決着つくとかあり得る?
と思ってたので、
史実を知って大いに納得しました。
🤡「確かにね〜」
ちなみに、
大坂の陣の意外な史実
については、
平山優先生の「真田信繁」に、
書いてありますよ!
それでは今日はこの辺で失礼します!
🤡「さようなら〜!」
最後まで読んでくれて、
ありがとうございます!
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